2011年2月27日日曜日

「見立て」

Blogの中で時折、「見立て」という言葉を書いていますが、この「見立て」に関しての捉え方、質問や連想されたことをメールで送ってくれた方々がいました。お便りありがとうございます。


「見立て」というのは、特定の基準(例えばDSMICD)の基づいて測定された分類のような類ではなく、また、「主訴」とも違うものです。


これらも含めた診断と予後の予測と終結時の状態像、サポートの具体的な方法の選択についての専門的な意見のすべてのことを意味しています。したがって、専門家がクライアントに関して行っている判断作業、総体的意見ということになります。


特に精神や心理の臨床では、何かの枠に当てはめて弁別することだけではなく、そこには推理や予測、探索が必要です。これらの作業は練習や経験の積み重ねと関連する幅の広い知識の吸収の繰り返し以外には、良い方法はないように思います。


自身の資質と歴史の中で心身に染み込んだ知恵を総動員して「見立て」は立てられます。そして、自分なりの面接の方法を構成していくこととなります。そして、そうした「見立て」が効果を上げるものと実感しています。「見立て」は極めて重要です。そして、やはり、身に着けていくには、繰り返し、反復練習して体得する以外にはなかなかに難しいものと思います。


そのわけは、以前に書きました、実は、精神、心理の現場での関係性は、非言語コミュニケーションが主となり言語コミュニケーションは従となっているからです。今年も12回、23回、「見立て」に関連する講座、研修或いは検討会を行おうと思います。


つまりは、サポートや治療は「見立て」しだいで大きく左右されると言えますし、「見立て」のないサポートは成立しえないと私は思っています。先ほど、「見立て」と「主訴」は違うものと書きましたが、それは、お相手が問題とする事柄を聴き、それを新たに把握・理解しなおして、「見立て」を立てる必要があるという意味になります。このあたりも講座や研修会などで実例を挙げて検討してみたいと考えています。


前回のblogで「わかる」ということについて書きましたが、分かるだけでは不十分で、分からないところが観えてくる、把握され推理・推測を伴う判断につながっていくことが重要だと考えています。その人の行動や捉え方の背景、経緯やストーリーを捉えてみることが重要ということになります。


初回で把握が難しいことも少なくありません。数回の面接を要することもありますが、こうした「読み」がないと「見立て」を立てることはできない。そして、自分が担当できるケースなのか否かについても吟味することができます。また、出来ない場合は、どのようにリファーしていくか、ある療法を適応しないことを選択する場合、或いは、場合によっては、現時点での心理療法の適応を断念することを選択するケースもあります。

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